残酷なくらい時間は流れている。誰も知らないうちに季節は過ぎ去っている。景色は変わっていない、と信じていたいのだけれど少しずつ街は変化している。
行きつけのラーメン屋さんはコインパーキングに変わっていた。真新しいアスファルトの上には6台分の駐車スペースと2台分のカーシェアリングサービスになっていた。黄色の暖簾と500円の学生ラーメンはもう食べられないのだ。「いらっしゃいませ」すら言わない店主のおじさんは今はどこで何をしているのだろうか。無口で愛想のない彼は新しい勤め先があるのだろうか。
春の陽射しが心地よい午後三時。私は「平日最大料金800円」の看板の前でふとそんなことを考えていた。コインパーキングには車が一台も止まっていなかった。
店主のおじさんは若い女の子にこっそりとトッピングサービスをしてくれていた。男子と並ぶと明らかにメンマが明らかに多かったり、頼んでもいないブロック状のチャーシューがおまけでついてきたり……。隣の君は「俺の女に媚びを売っている」と店主に聞こえる声で威嚇していたよね。君はどこかばかばかしくて、幼かった。男という生き物は幼いものだ。ラーメンのトッピングひとつでけんか腰になれるのだ。とてもくだらないことで縄張り争いが出来る、愛おしい生き物。そんな君だって、今はどこでなにをしているのだろうか……。定職にも就かずに隙あらば自分の自慢ばかりしていた君だって、新しい勤め先があるのか怪しいと思う。君はまだあの色褪せた赤いホンダのハッチバックで生活しているのだろうか。
君とのドライブデートは苦痛ばかりだった。色褪せた赤い車はこの上ないくらいみすぼらしくて、乗るのも恥ずかしかった。リヤガラスの峠を走っているステッカーも下品だったから嫌だったな。色褪せた赤いボディに黒のエアロパーツをつけたり白のストライプステッカーをいれるのは恥ずかしかったな。小学生の家庭科の授業の裁縫箱みたいな車だった。ドラゴンの金の刺繡が入ったみたいな……あのダサい裁縫箱。小学生の完成のままカスタムしていたフィットは見ていられなかった。排気音もうるさくてずっとどこかしらカタカタと異音が鳴っていた。
君とドライブデートに行ったショッピングモールを思い出したよ。春用の薄いコートが買いたいなんて言い出した日のこと。確か2月だったと思う。流行りの色のコートを探したかった。君はファッションや買い物には興味がなさそうだったけれど、車を出すというミッションの元でデートの目的を見出だしていたみたいだった。
それなりに朝早くから出発したのにも関わらず、ショッピングモールの駐車場は完全に満車だった。付近の大きな駐車場のある施設までもが車が列を連なっていた。彼はようやく見つけたコインパーキングに車を止め、「平日最大料金800円」の駐車場に私たちのフィットを止めた。ショッピングモールで買い物をして昼に地元の名産品を使ったソフトクリームを食べてコインパーキングに戻った。
私は荷物をトランクルームに積んでいて、リヤハッチを閉めようとした。その瞬間に彼の罵声が飛んできた。ドン、と鈍い金属音が聞こえた。彼はコインパーキングの看板にキックをしていた。足を垂直になるまで曲げ、勢いよくつまさきは看板にヒットしていた。彼はとても強い目つきをしていた。声も荒げていた。驚いている私の顔を見て彼はある数字を指さしていた。とても小さなフォントで「土日は最大料金適用外。15分500円」と書かれていた。そのフォントの上のあたりに塗装がはがれそうなくらいへこんだキックの痕が出来ていた。料金精算機は「リョウキンハ…イチマンエン…デス。トウニュウグチニ…」と不愛想にアナウンスしていた。
そんなことを思い出していた。潰れたラーメン屋の店主と同じくらい彼の行方も気になる。あのショッピングモールの近くのコインパーキングは未だに詐欺に近いような誇張表現でお金を徴収しているのだろうか。「その後」だけが気になってばかりだ。
ふと視線を上げる。ラーメン屋の暖簾があった場所にも「平日最大料金800円」の文字があった。そして私は鳥肌が立った。驚いた。その下には「土日は最大料金適用外。15分500円」。そして看板には蹴られたかのような凹んだ跡。
彼はまだこの近くにいるのかもしれない。まだあの小学生の裁縫箱みたいな赤いフィットに乗っていて、コインパーキングの狡くて汚い表記に腹を立てて看板を蹴っているのかもしれない。
誰かのいた記憶は残り続けるのだろうか。誰かがいた証拠は存在し続けるのだろうか。
看板の凹んだ跡を人差し指でなぞりながら、そんなことを考えた。
とても穏やかな春の日だった。この記憶も残り続けるのだろうか。