【文字数縛りカーノベル】1.ミラノ風ピアッツァ

「おわかりいただけただろうか」なんて陳腐な台詞は言いたくない。日常に起こるあたしが仕掛けたホラー、君はまだ気が付いていない。

 ただ君に怒られたかった。あたしに興味を抱かない君がだんだんつまらなく感じてきた。

 無口でつまらない君の怒った顔を見てみたい。冷静さを装って「無」を貫いている君が声を荒げる姿を見てみたい。ただの構ってちゃんのあたしはどうすれば君に怒られるか分からなかった。

 だから、盗むことにした。君を試してみたかった。

 最初は君の家から歯ブラシを盗んだ。雨の夜、終電前に君の部屋の洗面台から盗まさせていただいた。エナジードリンクの空き瓶に刺さっている青いグリップの歯ブラシを盗んだあのときはとても悪いことをしている気分になった。歯ブラシなら毎朝洗面台に立つから気が付くだろう。しかも高価なものでもないし…….。盗癖というよりは性癖扱いされそうだから安心する。入り混じった感情を込めてリュックサックのポケットに隠して、君の部屋を出る。

 切れかけている蛍光灯の通路を抜けてアパートを出る。駐車場を抜けて角を曲がる。バス停が見えたら細い通路を抜けて、小走りになる。悪いことをしている気分だ。というより、悪いことをしたのだ。けれどどこか自分の心の奥底で歯ブラシを盗んだ自分を褒めている。よくやった。これで彼の怒った顔を見ることが出来るのかもしれない。中華料理屋の赤い看板が連なる方向へ。とても悪いことをしている気分だ。デリバリー専門店と弁護士事務所の角を曲がる。ボニー&クラウドも最初の強盗はこんな感じだったのかもしれない。小さな悪いことを壮大に「やってしまった」という感情と「やってやったぞ」という感情を正面衝突させていたに違いない。

 心拍数が高鳴っているのは走っているからだけではないはずだ。タクシープールをぐるりと外周して、息切れした状態で駅の階段を上る。

 ICカードをタッチさせて、ミッションが完了した。君の怒った顔を見ることが出来るに違いない。

 もちろん種明かしはしない。

 「おわかりいただけただろうか」なんて陳腐な台詞は言いたくない。日常に起こるあたしが仕掛けたホラー、君はまだ気が付いていない。

 それから一週間はいつ怒られるかびくびくしていた。精神的にハイになっていた。落ち着かないメンタルで常に君のSNSは全て監視していた。「あのくそ女が~」と舌打ちしながら愚痴ツイートするのを待っていた。怒りのLINEメッセージを家電製品の説明書のような長文で送ってほしくてたまらなかった。

 しかし全くLINEは来なかった。業務連絡のメッセージすら来ない。君のツイッターはずっと自分の愛車の自慢ツイートばかり。角ばっている奇抜なボディをひたすら誇らしげに語っている。

 君の乗っている車は大型トラックを作る会社が作った数少ない乗用車らしい。サイゼリアのメニューのような名前をしていた。ミラノ風ドリアみたいな名前の車だ。ピザのような名前だった気もする。あたしにはなにも魅力がわからない。

 君はその自慢の愛車のエピソードを隙あらばツイートしている。やるせなかった。

 そして二回目を実行することにした。

 君の家でネット配信限定のドラマを見た後に、ベッドの上で遊んで君の名刺入れを盗む。財布を盗むのはハイリスクだから名刺入れだ。ジャケットの内側のポケットに入っている黒い名刺入れを盗む。それが次のデートのミッションだ。

 夕方に君の部屋に入り、ミッションが始まる。午後11時終電前にベッドでトイレに入っている君を気にしながら名刺入れを盗んだ。ざらざらとした革を触ったとき、「またやってしまった」と思った。

 君に何事もなかったかのように手を振って、蛍光灯の通路を抜けて、駐車場を出る。またやってしまった。前回よりもどこか冷静に歩くことが出来ている。駐車場には君の愛車が止まっている。クリーム色の角ばった車だ。古くてエアコンの効きが悪いし、Bluetoothで音楽を流せない車を君は大切に乗っている。昔からの憧れの車だったらしい。不気味なボディはアパートのうっすらとした蛍光灯に照らされていて、より一層不気味に見える。

 「最悪、あれを盗めばいいな」と思いながらあたしは駅へ向かう。歯ブラシを盗んだ夜はもっと心臓がバクバクしていたのに、二回目でもう冷静でいられる。あれほど映画の中の主人公のような気分だったのに二回目にしてプロの装いだ。

 しかし結果は前回同様だった。ツイッターでは相変わらず愛車自慢。デザイナーの過去の栄光を長い文章で語っている。「名刺入れをなくしたかも」とすら呟かない。もちろんあたしのことなんて全く呟きもしない。

 本当に気が付いていないのだろうか。無くなったことには気づいてはいるけれど自分のせいだと思っているのだろうか。あたしの見えないところで物忘れ外来の予約でもしているのだろうか。霊感的なものを信じているのだろうか。

 それとも逆にあたしを試しているのだろうか。もう既に私の盗んだ行為はお見通しで、あたしの行動を遠くの出来事かのように眺めているだけ。何を盗まれようが「おもしれ~女」という言葉だけで片付けようとしているのだろうか。

 そしてあたしの「怒ってもらう計画」の盗む行為はどんどんエスカレートした。ティッシュ、イヤホンケーブル、縞模様のネクタイ、掛け時計、ドライヤー、タバスコ、ゲームキューブコントローラー、カメラの充電器、髭剃り……けれど君は怒るどころか疑いすらしない。盗んだものはただ移動しただけのように私の部屋に増えていくし、君は失ったものを補充する。

 だんだん腹が立ってきた。エナジードリンクの空き瓶から盗んだ歯ブラシは新品になっているし、掛け時計ですら新しいものが秒針を刻んでいる。

 もうここまできたらあの車を盗もう。サイゼリアのメニューにありそうな名前の車。ミラノ風ドリアみたいな名前の車。ピアッツァなのかモッツァレラだか忘れた。あのカクカクで不気味な車を盗むのだ。

 あたしはグーグルの検索欄に「いすゞ自動車、ドリアみたいな車 鍵 解除方法」「車 盗み方」「配線 エンジン かける方法」「窓ガラス 割り方」と検索する。午前零時に布団に包まってスマートフォンをにらみつける。目をこすりながら、カタカナがいっぱいのインターネットで知識を集める。

 どうしても君の怒る顔が見てみたいのだ。

 妄想がやめられない。窓をモンキーレンチで割って、ドアを開ける。プラスチックのカバーを破壊して、ブレーキペダルを踏んで、配線をバチバチ繋げて、エンジンをかける。アクセルをふかした瞬間に君がアパートから飛び出てきて、こちらに向かって叫ぶ。

 怒鳴るのだろうか。走って追いかけてくるのだろうか、自転車で追いかけてくるのだろうか、先に警察に通報するのだろうか……脳内のスクリーンで妄想を繰り広げる。

 「おわかりいただけただろうか」なんて陳腐な台詞は言いたくない。日常に起こるあたしが仕掛けたホラー、君はまだ気が付いていない。

 だから君の大切な車を盗んだ。あたしからすればミラノ風ドリアにしか聞こえない車、それを盗んで真夜中に逃げ込む。そうすれば君はあたしを永遠に追いかけることになる……。

 あたしは君に追いかけられたい、ただそれだけなのに……。 

【アイキャッチ提供】

ごっちゃんさん https://twitter.com/pia_goto_jr130

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

Editor

2000年生まれ。元愛車はアズライトブルーの初代CLK。コメダとラーメン山岡家が大好き