【後編】”数字ルノー”いくつ知ってる?

現在販売されているルノー車はトゥインゴやメガーヌなど単語の車名が付けられています。

しかし、1960〜90年代前半のルノー車の主要車種は数字の車名が付けられていた。その数20車種。そんな数字ルノー、沢山種類があって正直覚えるの大変ではないですか…?

4や5,8等の有名な車種は知っていても、他はよくわからないという人もいるのでは。

そこで今回は「数字ルノーを理解する」というテーマで、3から30まである数字時代のルノー車を1台ずつ解説していきます。

今回は後編。14〜30までの10台をご紹介します。普通の方なら「14から30までで、たったの10台?」と思うかもしれません。このメディアを見てくださっている玄人さんでしたら、既にそのクルマが浮かんでいることでしょう。

この『後編』をご覧になる前に、『前編』をご覧いただければ幸いです。

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それでは行きましょう!

14(1976-1983)

14は、5の1つ上のクラスに当たるモデル。当時フォルクスワーゲン ゴルフが席巻していた、Cセグメントハッチバックで、現在でいうと、メガーヌが同じポジションに値する。

エンジンやトランスミッション、横置きFFレイアウトは当時提携していたプジョー製のものを流用していた。デザインは当時としては先進的で専門家等からは高く評価され、装備も充実していたにも関わらず、当時のマーケットでは個性的過ぎたのか、販売実績は成功とは言えなかった。

15(1971-1979)

1970年代はコンパクトクーペが増えた時代だった。オペル・マンタ、フォルクスワーゲン・シロッコ、アルファロメオ・ジュニアザガートなどが発売され、ルノーもこのセグメントでシェアを奪うために、15と17を発売した。

17がスポーティさを売りにしていたのに対し、15はコストを抑えて販売台数の拡大を狙っていた。そのため15のドライブトレーンは全て12/16と共用し1.3Lと1.6Lエンジンの2種類がバリエーションとして存在した。

15はクーペの雰囲気を手軽に味わうことができ、17より販売価格が安かったことで、17の倍以上のセールスを記録した。

16(1965-1979)

1950年代、ルノーは高級車のシェアを獲得するためにフレガートを販売していたが、その販売は芳しくなかった。そのため、全く新しいモデルとして”プロジェクト115″という名前で、4からヒントを得ながら開発されたモデルが16だ。

こうして、高級車でありながらも『前輪駆動』かつ『セダンとワゴンの良いとこ取り』をした実用的なハッチバックボディを採用した。

エンジンが非力という欠点があったが、発売から2年後には、パワーが向上したエンジンを搭載するグレードが追加され、更に生産数を伸ばした。この独特のコンセプトは高く評価され、1966年欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞、総生産台数は180万台以上であった。

17(1971-1979)

前述の通り、15の兄貴分として17は発売された。

15とデザインで異なる点としては、意匠の違うヘッドライトや、リアクォーターをルーバーで覆っている点が挙げられる。エンジンは15には2種類あったが、17はそのうち高出力な1.6Lエンジンが搭載された。18をベースにしたフエゴが後継車となり、1979年に生産を終了した。

18(1978-1986)

“8と12の小型セダンの流れを受け継いだ後継車”としてデビューしたのが18である。商業的成功を収めた12のコンポーネントを受け継ぎ、サスペンション形式やホイールベースは同じであった。

モダンなデザインをまとった12というと分かりやすい。モデルライフ途中にはギャレット社製のターボチャージャーを搭載したターボモデルも登場した。また18をベースにしたクーペの派生モデルとして『フエゴ』も発売された。

19(1988-1997)

9と11を統合させたコンパクトセダンが19である。イタルデザインのジウジアーロが手掛け、洗練されたデザインと大きく向上した品質で、ルノーの新しい時代を描いた。

カルマンギアを製造した”オープンカー専門コーチビルダー”であるカルマン社が手掛けた。

モデルとしては、カブリオレや、ルノー初のDOHC16Vエンジンを積んだホットハッチの16Sなどの、派生モデルも多くラインアップされていた。総生産台数は約600万台でルノーのヒット作であった。

20(1975-1984)

30の廉価版として、30のボディに、16に搭載されていた直4エンジンを搭載したのが、この20である。

30とのデザイン上の違いは、”角型のヘッドライト”や”クロームメッキの省略”などが挙げられる。

お世辞にも速そうな見た目には思えないが、意外にも1982年のパリ・ダカールラリーで優勝を果たした。

また、ルーマニアでは官公庁公用車として使われ、ダチア仕様も存在した。

21(1986-1995)

18の後継車としてデビューした車が、この21である。80年代特有のかなり角張った特徴的なデザインは、19と同様にジウジアーロが手掛けたものだ。

21で忘れてはいけないのがターボモデル。プジョー・405Mi16やシトロエン・BX GTiなどの、”家族が乗れるスポーツセダン”が人気を博した時代に、ルノーが発売した21ターボは、2Lターボで最高出力は175ps。最高速度227km/hと卓越した性能であった。

また、ターボ発売から2年後には、4輪駆動のターボクアドラも発売された。

25(1983-1992)

20と30を統合させた車で、『ルノーの新たなフラッグシップモデル』として発売された車が、25である。

高級車でありながらも、ファストバックスタイルを採用する点がフランス車らしさを感じるが、角度によってはセダンにも見えるデザインだ。

このデザインは、シトロエン・CXやGSを手掛けた、ロベール・オプロンがデザインに関わったとされている。かなり空力を意識したデザインで、Cd値は0.28と、当時としては記録的な数値を持つ高級車であった。

また、内装デザインは、ガンディーニが担当し、内外装共に拘って作られた車であることがよくわかる。

僅か1年余りの販売だったが、大統領のニーズに応え、ボディをストレッチしたリムジングレードも存在していた。(後に後期型でバカラという名称でプレミアムグレードが復活)

30(1974-1983)

前述した20の兄貴分で、当時のルノーのフラッグシップモデルが30である。

搭載されるV6の2.7Lエンジンは、プジョー・ボルボ・ルノーの3社で共同開発されたもので、ルノーとしては戦後初のV6エンジン搭載車であった。

高級車としては珍しい、このハッチバックボディはルノー伝統のもの。

モデルライフを通して細かな改良はされていったものの、販売台数は伸び悩み、静かに生産を終了したのであった。

まとめ

前編・後編と分けてお送りした数字ルノーシリーズはいかがだっただでしょうか?

メジャーな車種からマイナーであまり知られていない車種まで紹介していきましたが、この記事をきっかけにルノー車に興味を持って頂けると嬉しいです。

現在ルーテシア2が愛車の筆者は、16の雰囲気に惹かれています…(笑)

画像出典元:https://en.media.groupe.renault.com/

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Editor

ルーテシア2からトゥインゴ・ゴルディーニR.S.に乗り換えた大学生。欲しいクルマが多すぎて困っています。